♪うさぎ翔ぶ♪
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先月号で連載エッセイ開始の予告編とでもいうのか、プレ・エッセイを掲載したところ、“楽しみにしています”“伊藤君らしい文章……”とたくさんのおハガキをいただきまして、伊藤君も、“頑張らねば……”とやる気十分。富山から郵便で届けられた第1回目は、自然と人間のふれあいについて。これは次のアルバムのテーマでもあるのです。
あんなに照りつけた陽射しもやわらぎ、耳を覆いたくなる程、鳴きまくった蝉たちも、今は遅生まれした寂しいはぐれ蝉、一匹、二匹の声だけ、こちらから耳を傾けてしまう程に弱々しく空気に溶けている。
何時の間にか空からは入道雲が消え、かわりにうろこ雲が貼りつき、それを映す海には風が立ち、うさぎが翔び始めた。
サマータイムレジャーの人々が都会に消えた。砂浜は網をつづる漁師、そして海鳥たちの元に還された。
人影のない浜辺を歩きながら都会に帰った人達を思っている……。様々な海辺の思い出を、もう、ほてりのとれただろうその日焼けした顔や腕に残しながら、今頃、電車に揺られているのだろうか……。
ひとつの季節が枯れてゆき新しい季節が熟してゆくのを見とどけることもなく、休暇の終わりとともに都会の中に帰っていった人たち、カレンダーの中に季節を探す生活に慣れているあの人たちのことだから、自然の中の季節感など、どうでもいいことなのかもしれない。
でも寂しい気がする……。「余計なお世話さ」って声、「仕方ないよ」って声、聞こえそうだよ。そういえば、流行街のショーウィンドウには、もう冬の流行が並べたてられているし、過ぎ去った夏だって春にはすでに売られていたのかもしれない……。
寂しいのは静けさじゃなくて、失してゆくということ。季節感という形のない感性のひとつを失しかけていってるんじゃないかと……。ただ季節を区別して認識するってことではない。四季のない国だってあるのだから。しかし日本に生まれ育った人たちにとって昔から四季は季節感をおしえ、感受性を育ませてくれていたはず。 そして、それが「自然」につながっていってたと思う。季節が変化する様を見ながら、人々はいつも身近かに「自然」を感じて、「自然の声」に耳を傾け、恵みを受けたり恐れたりしながら暮していたのだから。 謙虚さ、畏怖心。感謝の気持ちを自然に対して持ち続けていたのだから。それは人間も自然界の構成員であるということ、そこには驕りなどあるはずもなく、自然に抱かれながら恵みは恵みとして、恐れは恐れとして、何時かは朽ち果て、土に還る肉体、宿る生命の尊さをいつも人々に自覚させてくれていたのだから……。勿論、現在でも耳を傾けるなら聞こえるはずの声によって……。耳をふさいでしまってるのは、時代のせいなのだろうか。
「生命は何よりも大切なものです」―――誰でもこう思っているだろうし、まるで交通標語のように簡単に人々の口から出る言葉。でもそれは多くの場合、自分本人に向けられているのではないだろうか。例えば事故に遭わないように、とか、病気になりたくないとか。その言葉の前には(自分だけは)という接頭語がついているのでは……。 勿論、自分の身は自分で守るというのは当り前過ぎる程、当り前のことなんだが、そこから先に考えが及ばなくなっていやしないだろうか。自然の声に耳を傾けるなら聞こえてくるはず「貴方も他の人も生物なのです」と……。
自然に抱かれて、分類を同じくする同じ種類の生き物。生命の重さは同じだし、ましてこの計り知れない時間の流れの中で同じ時間を共有し、同じ空気を呼吸し、同じ時代に地球という一つの船に乗り合わせている偶然というより奇跡に近い出逢をした倖い生命同士だということ。そこに考えが及ぶなら、思いやれると思う。とても素敵なこと……。
生まれてからの僕の生命は、今日までに9497回の朝と夜を迎えた。人生を語れる程成熟してはいない魂だけど……。感じて、そして、考えてそれを言葉に表現することが出来る。季節の終わりを見つめ、季節の始まりに触れた今日、現在、若さゆえにこうして語れるのかもしれない。 しかしいつかもっと年老いて、たとえば都会の雑踏にまぎれる日が来たとしても、こうして感じたこと、考えたことを思い出し、見つめ直すことが出来る老人になれると思っている。今、こうして自然に抱かれているのだから。
人間を自然の一部とするなら季節感とは若い日の感受性なのではないだろうか。散りゆく枯葉に無常観を覚え、ながくなってゆく春の陽射しに希望を見つける、季節が巡るたび、心の襞に年輪を刻むことが出来るはず、俺よりたぶん若くて、柔らかくて、青い世代の人たちに、季節を自然をもっと見つめてもらいたい。耳を傾けなくなった大人たちは俺たちを何処へ連れてゆこうとするのか……。 驕りきってしまった大人たちは流れを無視して他の世代までも道連れに良くない過去という場所へもどろうとしているようだ。目隠しされる前に好きとか嫌いとかではなく、何が正しくて、正しくないのか見つめることが出来たらと思う……。鋭い感性を……。(行動する時の為に)……。
今は秋の入口、海辺の空に群れる秋あかね。もはや単独飛行の時は過ぎ、二匹つながり複数飛行。交尾の花盛り。発情の秋へと羽をせわしく動かしている……。
(「GB」1982年11月号 より) 次回をお楽しみに・・・