♪秋、黄昏♪
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2回目の今月、ちょっと雰囲気変わったと思いませんか?締め切り日はとっくに過ぎてたけど、無事、伊藤君の“絵”が到着。小学校以来という水彩画。出来ばえは別にして、苦労のあとが1冊分のスケッチ・ブックからは、うかがえたのです。
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「秋の日のつるべ落としかな」とはうまく言いえたもので、彼岸が過ぎてからの日の暮れるのが早い事、何かにつまずいて濃いめのサングラスをはずしてみると、もう、あたりは闇に包まれていました。ほんの10分ほど前まではまだあんなに明るかったのに……。損をしたような気がして思わず舌打ちをしてしまいました。蜃気楼のように短い秋の黄昏時を楽しむために、これからは夕暮時のサングラスは止めにしようと思っています。
でも秋の黄昏時って人を何だかさびしい気分にさせてしまいますね。美しければ美しいほど……それはそのすぐ後にせまる闇のせいなのでしょうか。知らないうちに無常感を覚えてしまってるからなのでしょうね。
そして人恋しくもなりますね。そういえば秋って恋を語る季節でしたっけ?恋……してますか、頑張ってください。
黄昏って魔術師みたいでいろんなこと思い出してしまいます。でも、すべてひと色、古いフィルムのようにセピア色に色付けされて……。
糸魚川駅16時26分発、普通列車、米原行。北陸線を走るこの汽車で転勤のために富山に向かったのも6年前の今ごろの季節でした。各駅停車しか止まらない親不知駅で汽車に乗り込むころはまだ明るかった空も、ひと駅、ひと駅、汽車が進むにつれ色を変え、暮れてゆきました。
沖に浮ぶ能登半島もやがて霞んで見えなくなるころ、点り始めた漁火、心細さをまぎらわせようと数えてはみたものの闇に近付けば近付くほど、明るくなり数を増してゆき、まるで夜空の星を数えるようなものだとあきらめて窓越しに見つめていると、その窓ガラスに漁火とは違うまた別の灯りが映ってゆれているのです。
驚いて反対側の車窓に目をやると、そこにも漁火に似た灯り、でも、それは灯りではなくて炎なのでした。刈り取りの終わった田んぼで稲ワラを焼く炎、それがいくつもいくつも……。暗闇の中、無数の漁火と野火の間を縫うようにして走る列車、それは銀河鉄道の幻想の世界のようで……。しばし、我を忘れ、気が付くと汽車は街の灯の中、車内に稲ワラの焦げた匂いを残したまま、イルミネーションの駅にすべり込もうとしているところでした。
あれから富山で6度目の秋、また家々の窓辺に灯りの点るのが早くなる季節。家路をたどる人々の足どりも、心なしか急ぎ足で、それぞれの灯りのもとに帰ってゆく、そこには俺の知らない人が居て、泣いたり笑ったり、それぞれの暮らしが営まれているのでしょう……あの少女はどうしているだろうか……。
何時間も夜行列車に揺られた疲れを、ニキビの残るあどけない顔に浮かべながら、4月の朝まだ早い駅のベンチで俺を待っていた少女。夜行列車の始発駅のある遠い街から、自分ひとりでは抱えきれないほどの大きな悩みを背負い、そこにいるとは限らないはずの俺に逢いに来た少女。仕事を終え、出向いた待ち合わせの喫茶店で聞かされた身の上話。数年前、家族の前から突然、姿を消した少女の母親が再び帰って来るということ、そしてそれを許そうとする父親への不満など、やり切れない胸の内を涙も出ないと切々と僕に訴えていたあの少女の家の灯りはちゃんと点っているだろうか。
誰かに聞いてもらいたかった、だけど青白い顔で笑ってくれた。けれど、答えの無いままに帰って行った少女、その後の電話で母親は、やはり帰らないといってたけれど、どちらにしても苦しいことだろう……彼女の胸の中は今でもうさぎ翔ぶ海のままなのだろうか、時化ていなければいいんだけど・・・・・・。
みんな、それぞれの窓辺にすこしでも明るく、温かい灯を点すために、一生懸命、生きているのだけれど、ともすると、家族や家族のあり方が知らない内にその中のひとりひとりの人間を傷つけてしまってることが、よくあると思うのです。彼女もその最たる犠牲者なのかも知れないのだけど、できるならその意識をはやく捨てて、自分の未来に目を向けてほしいと願っています。
俺の住んでいる寮のこの部屋の窓辺には、何色の灯りが点っているのでしょうか。音楽をやっていることを今でも反対してる家族の住む親不知のあの家の窓辺には、はたして何色の灯が点っているのでしょうか……俺のことで暗い影が浮んでるとしたなら、とても悲しい……。
世の中、ままならぬといって諦めたくはありません。いつかわかってくれると思うのです。俺が自分の足で自分の道を歩いているということを。話が暗くなりました。すみません。
今日は奥飛騨の谷合を走る2両編成の列車に乗っています。こうして目にする美しい紅葉の山々もそれぞれの木、1本1本が、それぞれに色付き、装い、寄りそっているから美しいのでしょうね。
夕暮れにはこの谷合の家々の窓辺にも灯りが点ることでしょう。今夜は、いつもと違った気分でそれを見つめていると思います。
(「GB」1982年12月号 より) 次回をお楽しみに・・・